特別であり普通である私たち/岡部淳太郎
「特別な存在」であると認める。だが、それは周囲が大きく高く見えるがゆえの「特別」なのであって、自らを人ではなく「一寸の虫」として規定してしまう類のものである。だから、「特別な存在」としての自我は、精神的劣等感から出発しているのであって、決して最初から自らを周囲に比して高みに置いているわけではない。そして、その劣等感が自らを守るために働く時、周囲よりも低い位置にある「特別」は周囲を自らよりも低い位置に落として結果として自らが高みにあるような精神的詐術を用いる。そうすることによって、かろうじて自我の崩壊を食い止めているようなところがある。だから、人が自らを「特別」な存在だと思うことははじめから高い位置
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