特別であり普通である私たち/岡部淳太郎
 
位置にあっての「特別」ではなく、社会の中で自我が危機に陥って卑小感を味わった上での「特別」なのだ。このことは留意しておいた方が良いだろう。
 ここまで考えると、人が自らを「特別」な存在であると考えるか「普通」の存在であると考えるかは、単に自我の振幅の問題でしかないようにも思えてくる。私たちはみなほとんど例外なく社会の中で生きているのだから、その社会からつらく当たられるか優しく扱われるかによって、自我は微妙に揺れ動く(余談だが、「人間」という言葉は、「人と調和して生活しましょう」という処世訓のような意味以上に、人と人の間で揺れ動く自我を表しているようで興味深い)。たとえば恋愛感情の真只中にいる時、
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