特別であり普通である私たち/岡部淳太郎
 
その創作物も高踏的になる傾向にあるし、「普通」の存在であると思えばその創作物も平易なものになりやすい(もちろんこれはかなり大ざっぱで穴だらけの見方であることは承知の上であるが)。おそらく自らを「特別」な存在であると思いすぎるのも、「普通」の人間であると思いすぎるのも、創作活動をする者にとっては好ましくない。たとえば私は市井に生きる普通の人々の生活を描きたいといっても、そこにも落とし穴がある。その「普通の人々」の中には、社会から疎外された少数者は含まれていないかもしれないからだ。たしかに「普通」は尊いものであるが、その枠から外れた者を排除する暴力性を秘めてもいる。ここのところを認識せずに普通礼賛をし
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