特別であり普通である私たち/岡部淳太郎
題でしかないようにも思える。つまり、普段は他の多くの人たちと同じように「普通」の存在でいられるのだが、自我のベクトルがあまりにも内にふれすぎてしまうと「特別」な存在としての自分が現れるのだ。だから、先天的に「特別」な存在として生まれついてしまった人間などは存在しえないし、そのような人間を想定するのも馬鹿らしいくらいのものだ(家庭環境や病気など生まれながらにして他の一般人とは異なる特徴を持っている人は多数存在するが、それらの人はただそういう状況に生まれたというだけであって、ここで述べたような社会との齟齬の末に「特別」を感じてしまう精神傾向と基本的に変りはないと思われる)。私たちはみな「特別」であり同
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