「迷いというもの」返信/午睡機械さんへ/バンブーブンバ
 
できるのなら、とても危うい儚さと拙さをもって伝わってしまう。というより伝えられる。そこに私は引き寄せられるようなのです。「迷い」に是非はない。蔑むものでもないでしょう。ただ、他者の中にはもちろんのこと、作者や語り手では不可解なものでも、補完的にその柱や梁に当たる部分をなぞりながら、構築されてしまった空間そのものを見つめられる場合があります。というよりかはむしろ、「迷い」という傾きを設えたからこそ、対話(批評)の水脈を導くのでないか。そんな心持ちになります。
 ただ、「迷いというもの」について、ひとこと添えるのなら、限られた時間の中では去り逝くものであり、「決断」はそうした転倒してしまった帰結であ
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