「迷いというもの」返信/午睡機械さんへ/バンブーブンバ
為そのもの」が何かを抱擁してしまっていることだけは知覚してしまっていて、まるで豆腐を掬うような微震(迷い)の中で記述することを余儀なくされる。もちろん、すべての事態がそうした性質のものではないのでしょうが、『春だから全員集合』に抱いてしまったものについて分類するならば、そうした類のものではなかったかと思います。
以前、午睡機械さんの『遠い自殺』のなかで、汲み取られた語り手の「迷い」そのものを「迷い」としてそれこそ迷いなく表出化しているところに、当時私は、「迷いはとても可視化されやすいかもしれない」と申し上げました。下縫いのようなものでしょうか。「迷い」はそれこそ「迷い」そのものを掬うことができ
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