銀杯/白寿
 

それなりの贋作だから、大抵の人間は喜んで飲む。
(斯くて、それを飲む人々が偽物だと分かって
飲んでいるのかどうかは定かではない。
おそらくは、知っていて飲んでいるのだと思っている)
なぜ、偽物の“何か”を注ぐのかって?
それは、私が冷酷で薄情だからです。
私の銀の酒杯には、何も入っていないと書いたでしょう。
私がやっていることは、絶望の淵で倒れている人に
麻薬を握らせる行為に似ている。
「頂戴」と求める人に、本物をあげたいけれど
私は一滴も本物を持っていないから、偽物を渡すしかない。
知らないふりをする方がいくらかましだ。
けれど、気がつくと偽物の優しさをばら撒いてい
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