文体について、経験について/んなこたーない
 
まではもう完全につきものは落ちてしまったが。

どんな流暢に言葉を書き連ねたとしても、自分の意図したものと必ずどこかで齟齬をきたしてしまう。
それが言語形式の限界といえばそれまでだが、はじめにロゴスありき、
表現以前になんらかの観念が存在するということ自体が幻想であるのかもしれない。

ぼくはひとの顔を覚えるのが苦手だし、じつはあまり気にもしない。
ひとの心を最もふるわせるものは、やはりひとの心である。
さっきは「表面がいかに重要」か、などと書いたが、実際にはぼくの興味はもっと奥深いところにある。
つまり、詩でも最終的にはそこにどんな思想が盛り込まれているのかが肝心になるのである
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