猫とたんぽぽ再び&感動に関するまとまらない考察/佐々宝砂
得ないと思ってる。私が死んでも、この世はとりあえず存続して、きちんと明日がくるはずだ。などと書いているのはたったいまルナスケープで「最後だとわかっていたなら」という詩の本の広告が配信されたからである。「最後だとわかっていたなら」の原文と訳文はhttp://www.futaba.ne.jp/〜a-sagawa/hug/words_if.htmlで読めるので本など買わなくてよろしい。
もし最後だとわかっていたら、私は「最後」が来ないように努力するだろう。相手が延命治療を望まないとしたら、相手の生きた証をなんとか残そうとするだろう、ビデオなんかではなく、私というフィルタを通した情報として残そうと
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