猫とたんぽぽ再び&感動に関するまとまらない考察/佐々宝砂
 
うとするだろう。もちろん虚しい努力だが、こういう虚しい努力こそが人間の人間たる所以だと私は思う、キスや優しい言葉に人間の人間たる所以があるとは私にはどうしても思われない。

うちのおばあちゃん猫が明日死ぬとしたら話は別だ。このおばあちゃん猫はあくまでも動物であり、あくまでもペットだ。私が私の感情を制御する手助けとするために、あるいは私のエゴを満足させるために飼っている。死なれたら悲しいが、無理矢理に生存を存続させるのも気の毒だから延命治療はしない。このばあちゃん猫は子どもを生まなかった。生きた証を残させなかった(個体としてのおばあちゃん猫を生き延びさせるために去勢した)のは、私のエゴの結果で
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