もりおかだいち「蜘蛛の内部にて」について/葉leaf
 
ければならなかったかもしれない。
 詩人にとって、詩行の源泉は広く豊かであるが、その代償として、あるいはそれと比例するように、詩行の模索が、長く労を要するものとなることが多い。そして、詩行に先行する静寂は、模索が苦しければ苦しいほど、密度を増し、模索の運動に影響されて起伏を生じるようになる。模索のエネルギーが放射され、静寂を侵すからである。

 最後に内容について。「僕」は蜘蛛の糸として、蜘蛛の魂に対して緊張している。この「僕」=蜘蛛の糸は、まっすぐなものであるとは思えない。もりおかの詩行は、漢語に突き当たるたびに屈折し、わだかまり、意外な方向へと反射されていく。そのような詩行を生み出す認識
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