もりおかだいち「蜘蛛の内部にて」について/葉leaf
 


 それぞれの内容的なかたまりについて、それに先行する静寂の持続が長かったのか短かったのか、また、それに先行する詩行の模索が楽だったのか苦しかったのか、想像してみる。言葉として現れた詩行を玩味するのは当然のことだが、言葉として現れなかった静寂や模索の運動にも思いを馳せてみる。すると、そこには、詩人の呼吸や身体の動作、視線の動きなども詰まっているようで、詩人に一歩近づけたような気がしてくる。
 「彼の内部には・・・があって」という内容は案外すんなり出てきたかもしれないが、「殺戮の音楽と黙考」はなかなか出てこなかったかもしれない。特に「黙考」を導き出すには、比較的長い模索の運動を持続させなけれ
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