失語から生きる/岡部淳太郎
が根本から変質したかのような感覚を味わい、それはある種の失語に近い感触をもたらしもする。そう、皮肉なことに、人は失語を通して言葉へと近づくのだ。
体験が人を失語に追いやるということは、言い換えれば体験によって生の日常性が剥ぎ取られるということでもある。詩の言語は、本質的に日常の生活語とはかけ離れたベクトルを持っていると私は思っている。それは表面上のわかりやすさや晦渋さとは関係なく、詩の言語が本質的に持っている性質である。そう考えると、体験が日常性を剥ぎ取るということは、とても示唆的なことのように思えてくる。また、体験による失語状態というのは、一般的な日常語が消え去るということなのではないだろう
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