失語から生きる/岡部淳太郎
では、石原吉郎の体験と一般の人々の体験との間に差異はないのではないだろうか。私は何も石原吉郎の体験を、ごく一般的な恋愛問題などに引きずり落として語っているわけではない。体験というものの本質的な面を言っているのである。またそれが本人にとって貴重なものである限り、外側から見た大小で計ってはならないとも思う。どんなにくだらなくつまらなく見える体験でも、本人にとっては貴重な体験であるのだ。
そう考えると、人は体験を通じて詩人になるのだとも言える。恋愛でも身内の者の死でも不遇な身の上でもいい。そうした体験を通して、人は言葉を獲得する。そして、それが特殊な体験として記憶に刻みこまれると、人は自らの主体が根
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