失語から生きる/岡部淳太郎
 
るとは言え、体験した本人にとっては他に取替えの利かない特異な体験であろう。体験ということを言う時に、何もそれが外側から見て特殊である必要はない。確かに恋愛問題などは石原吉郎のシベリア抑留体験と比べれば、ありふれたつまらないものであるかもしれない。それに、石原吉郎の体験はあまりにも特殊でありすぎるし、そのことが彼の詩を他の現代詩から明確に隔てているようにも見える。だが、それは飽くまでも外側から見ればそう見えるというだけのことで、体験というものが本人にしかわからないものである以上、外部から見た大小など本当は大した問題ではないのではないかと思える。そう考えると、本人にとって特異なものであるという意味では
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