失語から生きる/岡部淳太郎
。そうした事実を詩史の中の知識として知ってはいたが、今回の講演を聴くまでのそれは表面的な知識に留まっていたのではないかと思う。私にとってのそれは、単なる歴史の中の一ページであり、他人事にしか過ぎなかったのだ。それが今回の講演に触れることによって、自分にとってより身近なものとして感じられるようになったと思う。では、何故今回の講演が、私の石原吉郎に関する知識を表面的な理解から脱却させることにつながったのであろうか。それは端的に言えば、石原吉郎のシベリア抑留という体験が、私自身の体験と重なり合う感触を持ったからだと言える。私は二〇〇四年の春に妹を亡くしている。その取替えの利かない個人的な体験が、石原吉郎
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