希望と絶望あるいは孔子曰く巧言令色仁希し/構造
てしまう。とはいえそれを実現しようと思えば
苦難というか無理難題が伴うもので、おれの高校時代の塾講師などは"論語を
読んで絶望しない人間は論語を読んだと言えない"とまで断言した。これについて
おれも同意する。孔子はしまいには中国に絶望したあげく、中国より人間が素直で
道が受け入れやすいとされていた東洋(日本か朝鮮あたりを漠然とさしたもの)へ
赴こうとすらしている。
後年秦において儒者を徹底して弾圧した法家について、実は彼らは儒家である
荀子の系列である。荀子は性悪説を唱えたが、当時の悪の意味はキリスト教的な
絶対なものではない、単純に人間は欲を猛烈に満たそう
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