濁音氏の批評C" より/リーフレイン
 
骨を支えてくれた手を失くした不安感やら、さまざまなものが渾然となって泣いていた。冷静な視線を失う葬儀はあれが初めてのことだった。
 葬儀は型にはまった順序をたどる。一様にお悔やみを述べていく参列の人やら、しっかりしなさいと優しい言葉をかけていく知人たち、自分と同じくすっとんきょうなことをやっている家族。坊さんのお経、霊柩車、斎場。怒涛のように流れていく葬儀の中でもみくちゃにされながら、「ああ、父はもう逝ってしまったのだ」と腹の底までずんと納得がいったのは、骨を拾っている最中だった。その瞬間まで、自分は疑っていたのだと思う。閉じられた目があるとき突然開いて、「ああ、」と声をあげるのではないかと。
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