濁音氏の批評C" より/リーフレイン
と。二度と会えないはずなはいのだと。泣きながら、どこかで希望を捨てきれず、形がそこにあり、もう腐敗も始まっているのだと知っていてすら、夢のように父が立ちあがってくるのを夢見ていたのだ。
父は帰らない、この骨が再び肉を纏うことはない、この骨が再び声を発することはない、このほねが再び温かみを得ることはないのだと、骨を拾いながら理解した。
葬儀とは、こういうものなのだと理解をした。
帰らない人を送り、帰らない人が本当に帰らないことを知ることなのだ。
葬列は、生けるもののためで、死者を送らなければならない、死者を愛した人々にその葬送をまっとうさせるためのものだった。
死者を送る人がいるのならば、その葬列を壊すことなく、彼がまったき葬送を行えるように一緒によりそおう。儀礼を行おう。死者へ敬意を捧げ、死者を悼もう。私が父を送ったときに、皆がそうしてくれたように。ともに送ることができたように。
葬列は生けるもののためである。生けるものは死者との決別をなすのである。明日は彼のいない場所で生きるのである。
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