ヒューム「ベルグソンの芸術論」(3)/藤原 実
 
な一つの大きな棋子、それは象徴的言語の病気なのだが、の下に、それをことごとく包括することはできない」

「ただ孤立している箇所箇所のみが価値をもっているように思われる。してみると、どうして世界は計画して創られたものと言うことができよう。むしろ、ある箇所箇所が徐徐に計画せられつつあるのだ、とでも言ったらよいだろう。」

「支配的な比喩で全然誤っているのは、取りのぞかなくてはならぬ。というのは、鷲の眼[遠目のきく]という比喩だ。形而上学者は、自分が鷲の眼かなぞで世界を見渡しているものと想像している。
……しかし、眼は泥土の中にある、眼は泥土なのである。純粋に過程全体を見わたすことは不可能であ
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