百万塔/カスラ
論するは顰蹙も必定。話しを百万塔に戻すと、まずこれが印刷物の本来の目的であるところの、「広く多くの人々に読まれるために」という願いは叶わなかった。当時、文字自体が特権階級だけのものであった中で、はたして中身の経文を読むことができた人は、朝廷の高官と奉納先の寺院の高僧らの関係者くらいだったに違いない。いや、むしろ世界最古の本は「読む」ためのものではなく、寺院に奉納するという形式においてだけ意味があったと考えるほうが自然である。それでも私が心神喪失するほどに魅了された水晶の仏塔と、粗末な木製の経文を内蔵した百万塔と、同じ容器であることには変わりはない。かたや有り難い(?)釈迦の仏舎利、かたや経文という
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