「わかる」ということと「リアル」について/大覚アキラ
 
を、自分がわかったつもりで誰かに語る。
そんな、幽霊の幽霊みたいなものに、果たして説得力があるのか。

幽霊のような『私』と幽霊そのものが確実に異なるのは、
肉体というリアルを伴っているかどうかだ。
ほんとうの意味で、わかる、というのはとても肉体的な感覚であって、
そして非常に個人的で、他者と共有困難な感覚なのではないだろうか。

わかる、ということは、信じる、という感覚と非常に近しいのではないかと思う。
「百聞は一見に如かず(To see is to believe)」という言葉に表されるように、
信じるという感覚はとても肉体的なものであって、
頭で思考して納得するというよ
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