「わかる」ということと「リアル」について/大覚アキラ
うような種類のものではないと思う。
つまり、肉体的な感覚として信じうるものごとに触れる体験を経ることなく、
ほんとうに人が「わかった」と感じることはないのではないだろうか。
そして、そういう感覚で捉えることができたものを人は「リアル」というのだろう。
さて、こうやってわたし自身が語っていること自体が、
わかったようなつもりで語っているわけであり、
それ自体が無様で格好悪いということについては、
わたし自身がよくわかっているつもりだ。
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