新川和江 ??〈永遠〉を志向する大きさ/岡部淳太郎
越した感覚はまさに〈永遠〉そのものである。これにつづく終盤の詩行は一種の諦念のようなものを感じさせるが、そのことに詩人は悲しんでいるわけではない。「千年」が「岩にとっての/今日である」ことの、〈永遠〉との一体感(そのことを「悟り得」ないことも含めて)の中で静かに佇んでいるだけなのだ。
詩人のこうした感性がどこから来たものであるのか、それを詮索するのは避けたい。女性であるがゆえの〈大地母神〉的な感覚もあるかもしれないが(もっと柔らかく「母性的」と言ってもいいが、おそらくここからは一連の「幼年詩集」のシリーズが生れたのであろう)、この〈永遠〉を志向する大きさの前に立ち止まり、その〈永遠〉を味わうの
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