新川和江 ??〈永遠〉を志向する大きさ/岡部淳太郎
たしには 何ひとつ読みとることができない
読みとることができぬままに
やがてわたしは
いずこへか 連れ去られるのであろう
乾いた岩の上を
さらに千年が過ぎゆき
それが岩にとっての
今日であることも 悟り得ずに
(「はたはたと頁(ページ)がめくれ…」より)}
二十世紀も終りにさしかかった一九九九年に刊行された『はたはたと頁(ページ)がめくれ…』(花神社)の表題作である。ここでも詩人の〈永遠〉を志向する感性は持続されている。それどころか、老年にさしかかったゆえであろうか、その志向性は疑われることなくますます強まっているようにさえ見える。ここには母性的に解釈された
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