続・風のうしろに風はない/佐々宝砂
。業はみんながみんな背負っているものであって、いとうさんだって「そしてかなしみの石版は、誰しもが宿している」と書いているではないか。なにも詩だけが特別なのではない。いとうさんはまるで、詩と詩人を神聖視しているかのようだ。また、「月が昇る」というような自然現象と、人が何かを表現するという行為を同一視してみせるいとうさん文章、ひとつのレトリックとしては面白いけれども、理性的に考えてみたらおかしなことでしかない。月に意志はない、しかし人には意志がある。私たちは月ではない。花ではない。自然の理のままに生きることなど、どんなことをしても私たちにはできない。
私たちは、ただ在るだけで人工的な存在だ。たと
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