コザカしくないひと/んなこたーない
 
ting slowly through the islandsといった場合の
  言葉の理論的使用よりも遥かに直接的、創造的陳述であるばかりか、
  音楽の世界をも導入していると思われるのである。

この理屈はあまりに主観的かつ独善的であると思う。
どれだけのひとがAdagios of islandsから密集した島々の間を行く船の動きとリズムを読み取れるのか、大いに疑問である。

登場人物と喜怒哀楽を共にする、というのは読み方として幼稚に思えるが、
また同時に正統的な読み方であるようにぼくは思う。
方法や構造にのみ注意を向ける読み方は、結局人間のかわりにマネキンを見ているのと大差
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