風のうしろに風はない/佐々宝砂
モチーフ……というよりディテールのひとつではないかと私は考えているけれども、確かにこの詩は、詩のことなんか書いてはいない。詩人でなくとも、この詩に癒やされるものを感じるだろう。この詩における感動は、非常に普遍的なものだ。
だが私は「凪の日」に恐怖を覚える。私は石版を負って歩いている。私は荷をほどかない。和やかな野に背を向けて私は歩く。水の道はひとすじだ、ひとすじ海に続く。でも私は道を歩かない。なにひとつすこやかであるとは思われない。悔恨はひとつたりとも浄化されない。うしろに遠く潮騒が荒れている。凪はまだまだこないような気がする、まだきてはいけないと私の中の本能が言う。「詩が終わる」日は、私に
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