俳句の授業?/カスラ
 
当時の優秀なクラスメートからしたら理解不能のアウトローには独りが、我、独りのどこが孤独なのか、これまるで分かれなかったのである。授業では放哉が暗くて狭い、畳み敷きの部屋に独り座していて、丸いちゃぶ台が見える。その上には縁の欠けた湯飲み茶碗がひとつあり、左手が茶碗に届いた瞬間、咳こんだのが見えたというようなことを答えた。だが孤独ではない、このオジサン、何かとひとり語らい交信していて、顔に微笑みさえ見えたような気がなぜかした。確かに自分の咳込む音の反響を聴いていて、その中に自虐の苦笑いではない、澄んだ音が返って来るのを聴いている。それほどの静寂の中にやすらっている。余計なことは言うべきではなかったのか
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