俳句の授業?/カスラ
のか、訝しい顔をされ、次に問いを優秀なクラスメートに回し、その級友は、授業の進行を乱す発言を修正するがごとく、当時放哉は結核にかかっていて、死の床の中で誰ひとり家族の介護者もなく、孤独の寂寥のうちに咳込んでいるのだという、模範解答で先生の予定範囲の真ん中に解答を届けた。
今、この歳となってこの句の味わいが分かってきた。孤独と、我、独り在る。この寂寥とはちがう静寂が分かるのである。自由律の俳句であるとされるがみまごうことない、詩である。筆者の知り得る最も短い詩。どうであろう、この中にも起承転結がちゃんとある。日本語の、とくに詩歌においてやはり『て』『に』『を』『は』と『の』の助詞に魂は宿るのであろう。咳をしても、の『も』が転回であり、『は』にも『、』にも置き換え不可能のこの詩の命がある。放哉の有名な句にこのような作もある。
入れものが無い両手で受ける
…つづく…
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