俳句の授業?/カスラ
 
渡に見上ぐる天の川』だったらどうであろう。『まばたく』だったらどうであったろう。蝉の声を、岩に『響く』とか『こだます』『わたる』ではなく『しみいる』と詠むのが芭蕉なのであろうからやはり、『横たふ』に芭蕉の眼はあったのだと今も思う。

こんなふうに当時芭蕉を自分なりに見ていたが、放哉のこの異常に短い、季語もなく、五・七のリズムさえない自由律といわれる句がまるでわからなかった。句中に筆者の名前(一人)が含まれていたからこの先生、筆者に真っ先に当てて聞いてくる。『この作者はどんな心情でこの句を詠んでいるか?』というその問には至極真っ当に、作者の境遇の孤独を答えるのが正解として要求されていた。で、当時
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