俳句の授業?/カスラ
 
らは15名もの東大現役合格者がいたから、授業も受験に特化した何か権威的なものが付きまとい好きではなかった。釧路市は濃霧で有名な街であるから、銀河の中心方向の星々の密集した天の川など、しみじみ眺めた生徒はいなかったのだろう。優秀な同級生たちから脱落し、独りアウトローを気取るしかなかった筆者は当時、天体観測に夢中で自作の望遠鏡まで造っていたから、天の川が横たわっているのは実感としてよく知っていた。

国語の担当教官はこの句の芭蕉の見るコスミックなスケール感と同時に、彼の旅の道順、理由などの紋切り型の授業を推し進めてゆくなかでこの句の命、『横たふ』にはついにぞふれられることはなかった。例えば『佐渡に
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