「正しさ」についてのある思い出/熊髭b
 

ためらい、や、恥じらい、躊躇
が微塵も感じられない言葉に出会うとき(自省も含んで)
俺は、「正しさ」という奴を呪いたくもなる。
「正しさ」の落とし穴から無傷であることは非常に難しい。
この「正しさ」に対する自覚が、言葉の慎重さをうながす第一歩となる。


信頼関係がない言葉は、ただの暴力となり
信頼関係を履き違えた言葉は、無関心の裏返しとなる。
信頼関係の構築には、摩擦を伴う。
摩擦を恐れてはいけないが、
摩擦を増幅するだけのやり取りならば
沈黙を得るほうがいい。
沈黙知の領域を知ることも必要だ。


俺は実のところ
自信なさげで、でも、最後まであきらめない人の
[次のページ]
戻る   Point(15)