蛙声/ブライアン
 
たねばいけなかったのだろうか。
 いや、少なくとも声は、感覚の一表現に過ぎない。メッセージの一種。蛙の声は蛙のメッセージであり、蛙から剥ぎ取る必要はない。蛙声と蛙は同じである。蛙声と蛙は分裂することなどない。

 大地の触感を音にすると、リズムとなったという。大地の触感を視覚化すると、肌理となったという。感受したものをひとつの感覚に集中させることができれば、より具体的なメッセージが生まれる。それが意味だ。
 あらゆる方向に広がる諸感覚を、完全な形で感受できるほど人は大きくない。ひとつに絞り、意味化することで人は感受することを覚えた。

 声は蛙である。宙に分裂をしたのではなく、融合した
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