蛙声/ブライアン
 
解したのだ。

 大学時代に中原中也の「蛙声」を研究したことがあった。研究と言うにはあまりに忍びないものなのだが、それでも当時は何度も何度も読み返し、「蛙声」に含まれた意味を必死に解読しようと試みていた。
 今思えば、「詩」に意味をつけるなど大それたことが、大学生にできるわけもなく、詩の持つ美しさをそのまま説明できるわけもなかった。だが、天性として与えられた「詩」の感覚を持てないものの宿命とは、可能な限り美しさを崩すことなく、意味として、語ることなのではないだろうか。と、偉そうなことも考えてみたりする。
 そもそも美しさの理由などは存在せず、それを言語表現で表すことに限界があるのではないか
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