イジメとエリオットと超サディストであるぼく、んなこたーないと/んなこたーない
ついてはあまり触れないでおこう。俗に言う「シカト」ってやつね。
なぜならぼくらも赤坂憲雄の古典、「排除の現象学」を読んでいないんだからね。
議論の立場にすら立てないわけだ。この時点でぼくらとhalu氏との間には深い断絶があるのだろう。
B 「それから最低限、赤坂憲雄の古典、『排除の現象学』くらい読んでおいてもらわないと、何の議論もできません」
この屁理屈こそ、排除の現象の一形態である、という、まあギャグの一種ではないのかと思うんですが。……
A そんな低劣なギャグもないだろう。まあ、こういう心情はぼくらにだってよく分かるよ。
たとえば、ぼくらも詩が分からない人間と詩の話
[次のページ]
戻る 編 削 Point(4)