「逃走」と「闘争」という語呂遊びを使おうと思って使えなかったひと/んなこたーない
 
りの一種なのかもしれません。

なぜ逃げるのか? と考えてみると、
答えは拍子抜けするほど簡単で、それは自分が無能だからです。
余裕をかましてみたり、開き直ってみたり、ニヤニヤ笑いを浮かべてみせることもできますが、
「逃走」という行為にはかならず無能者の烙印が捺されている。
なので、いよいよというときに、せいぜいぼくが出来ることといえば、
行儀良く受難者を気取ってみせることくらいでしかないのです。

もちろん人間ですから、あらゆる場面で有能であることは難しい。
たとえば、幸か不幸かいまの世の中に平和主義、非暴力主義を標榜する人間は多いのですが、
彼らが揃いも揃って無能なのは、
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