詩と詩論(その一)/生田 稔
しいときペンと紙に述べる。詩はよき友である。現実に失望しても、心は詩の中で心地よく遊ぶ。これまでそのような詩作をしてきた。でき上がった詩は心の骨董品のようである。
朗誦にふさわしい詩は、心の喜びである。そのようにして詩に向う人は喜びや楽しみのほか何も詩に求めない人である。その人は、相対的でなく絶対的詩人である。
また芸術とはそのようなものであろう。孔子は楽しむ人には誰も勝てないと教える。しかし作品を発表することを敢えてしり込みすることもあるまい。喜びを共にするべきだと感じるべき。だからスポーツの一種だと考えることも良し、キャッチボールやバッティングと同じことではないか。詩人という特殊な人が
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