■批評祭参加作品■日本の詩における韻律の歴史/岡部淳太郎
のに、それぞれちらっと顔を出す類のもので、ここを失敗するととたんに詩がだらしなく見えてくるという何ともやっかいなものだ。つまり、逆に言えば、自由詩が「自由」を獲得するために韻律を犠牲にしたことと内在律の難しさは正確に比例していることになる。このへんに現代の現代であるがゆえの難しさ、詩に当てはめると、多くを語るために形式が崩されていくということ、その困難が露呈していると思うのだが、そのへんはまた別の話だろう。一時期、九〇年代に入った頃だったと思うが、飯島耕一が「オジヤのようになった現代詩」に異議を唱えて定型詩を試みたことがあったが、それも現代であるがゆえの困難の延長上で現代詩を回復させるための試みの
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