「現代詩の位置付け」/鷲田 岳
 
大衆化した言葉、創造の言葉、には異なった領域があると線引きする傾向がある。その線引きに準えれば、巷に溢れる言葉は、大半が大衆化していることになる。(例)えば、歌詞、コピーライト、出版社でヒットレコードとなる本、大半の小説、ネット詩等々。

現代という市場化社会においては、大衆を原理の主因と見る動きが前提にあり、上記(例)の言葉は商業的プロダクトやメディアの対象と為り得る。
又、逆説的に言うと商業・メディアの氾濫の時代だからこそ、言葉が大衆化したとも言える。この流れについて、一視点では喜怒哀楽に係わるものが社会全体をエンターテイメント化し心良くない・悪循環に貶めていると唱え、次視点ではグローバ
[次のページ]
戻る   Point(1)