砂の城の考察 #2/まーつん
 
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そんなことをつらつら考えていると、自分が昔ほど読書という行為に夢中になれないのも、SNSに溢れる言葉を真に受けきれないのも、故なきことではない、と思えてくる。どんな言葉にも、わずかな嘘が紛れているような気がするからだ。

言葉なんて、いい加減なものだ。偉人の金言や聖者の教えでさえも。

いや、本当にそうだろうか。

言葉の不確かさを表す例として、私が挙げてきた「物語や詩」は、誰かの心象や想像だが、「金言や教え」というのは、長い間その正しさが多くの人間に認められてきたからこそ、今現在まで生き残ってきたのではないか。いい加減さは、「金言や教え」の正しさを認めても、実行や解
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