世界と時間に対する一つのアプローチ/朧月夜
詩人というのは、言葉を食べなければ生きてはいけない存在なのかもしれません。でも、今の私には、世界という存在はそれを見ていても言葉を生み出すということをしてくれません。つまり、世界はそこに何かを宿しているもののようにではなく、世界そのものとしてしか見ることが出来ないのです。こういう事を書くとあるいは語弊があるのかもしれませんが、あえて書くとすれば、世界を目にするとき、そこに何らかの意味を事前に付与してしまうことで、世界がありのままの世界ではなくなってしまう、世界に傷がついてしまうような感覚、を私が持っている、と言えば良いでしょうか。例えば、一脚の椅子を見ていても、それが「何ということのないただの椅
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