【HHM2参加作品】絶対的矛盾としての馬野幹について/大覚アキラ
 
 詩を書くという行為が、自分の中ですでに終わってしまっているんだということに、ぼくは数年前から薄々気づいていた。(作品に対する他者評価はさておき)キーボードに向かえば、頭で考えるまでもなく指先から勝手に詩が生まれていた頃に比べると、さっぱり書けなくなってしまっていたからだ。
 そもそも“書ける/書けない”という軸で、詩を捉えてしまっている時点で、もう終わってしまっているんだろう。

 恐らく本質的に詩というものは、書こうとして書くものでもなければ、書けるから書くのでもない。詩を書こうとして書いた詩は、それがどれほど詩的であったとしても、詩“的”なものでしかない。限りなくnearlyであっても
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