[712]ハァモニィベル[2019 05/17 17:54]
と、ポエジーも借りてこないことです。ポエジーこそ、まさにその作者ならではの調味料であり味ですから。

どんな作品でも、「作品」と呼べる点では同じにみえますが、
月と六ペンス のようにあやしい関係になるのは、ポエジーが本物かどうかが決めるのだろうと(わたしは)思っています。

パクった作品というのはそらぞらしいので、心に響かないのです。
何か心に滲みるものがあるとき、そこに本物があります。



ひじょうにそらぞらしい感動がTVとかには平気で横行していて
なおかつ、それに涙する観衆がけっこういますけどね。回転寿司の「鯛」が深海魚だと気づかない人たちですね。
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