[698]ハァモニィベル[2019 05/15 05:05]★1
を見てみるのも面白いだろうね。
上に引用したのは、そのむかし堀口大學が、近代詩の創作に向けて
「〔これからは〕針金細工で詩をつくれ」とリリスム(抒情)を廃せと宣言したことを受けた文で、佐藤春夫はそれが意味する知性の導入には理解を示しつつも、そう言って堀口が「詩の花」を摘むのをやめて、「詩の石」を拾い始めた、と表現している。
知性と情緒を融合させるのは、日本語の場合難しい、と佐藤は日本語の問題にしているフシがあるけれど、わたしが考える限りでは、書き手次第であって、言語より使い手の問題だという気がする。
その辺、タッコング氏の意見はどうかな?
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詩は最早、花でも石でもなく、枯れ葉なのかもしれないけどね。
おのれにも飽きた姿や破芭蕉(やればしょう) (細木香以)
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