[248]ワタナbシンゴ[06/03 12:15]★2
ポエジーのことなんて、まさにこの生理化された幻想のことで、
その生理化された幻想を受けてに、ニーチェやベルクソンじゃないけど
ひとつのものの取り組みから体現的ひらかれていく普遍的な身体感覚
っていう、幻想とは違う普遍的可能性について考えたりします。
そして、この話はFiorinaさんの話にも、午睡さんが批判の先に言いたかっただろうことにも近いと思う。
2人の向けている視線は、ちょっと午睡さんの批判でややこしくなったけど
同じところを向いているとぼくは思っているぜ(握手)
あ、なんかちょっと話がしりきれとんぼ。
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