[166]m.qyi[05/02 10:55]
「続・風のうしろに風はない」(佐々宝砂)かんそう

禅坊主には、坊主の、三文文士には、三文文士の、そしてちんぴらにはちんぴらの、そういう意地があるんだろう。それは動かせない線っていうことでもあろうし、そういうやつだから、坊主や、文士や、ちんぴらになったのだろう。そうじゃなかったら違うものになっていたに違いない、だから、ぼくはそういうものは、ほうっておく、どうでもいいんだ。

ところが、どうでもよくないものってのがある、愛とか、さ。これが実はどういうものかゼンゼンわからない。なのに、大切だってなんでいえるかといえば、どうでもイイヨって言わせない頑固な愛だからだろう。

こういう頑固ものは
[次のページ]
戻る