[46]澤あづさ[2014 04/10 16:18]☆
わたしの脳内で文法の問題意識というのは「東京弁(共通語)はイ形容詞を正しい文法で敬語にすることができないので問題がある「よくよく考えたら『ありませんでした』の二重敬語だっておかしい「いっそ日本の共通語を秋田弁にしろ「志賀直哉はあれだ」とかいう純然実用のレベルなので、その時点で齟齬が甚大だったんでしょうか。
自分のあほは、もちろん重々反省します。
が、わたしがあほであったら、かれが詭弁でないということにはなりません。
「文法研究のシーンが記号論の問題意識の影響を受けている」から文法解析が悪徳なんだとしたら、文語やラテン語はどう読解するんです? 文語やラテン語には読解される必要がない
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