[151][2013 05/13 22:03]★2

あらゆる作品は鑑賞者、つまりそれを?見る?人がいてはじめて成立します。
裏返せば、どく者なんていらない、てさく者の作品も、?見られる?ことまでは否定できない(さく者自身がそれを見るはじめの一人、最初で最後のヒヒョー家として現れる場合も含めて)。
、、神様が死んじゃってからこっち、あらゆる作品は、いかなる超越的な視点からもその身分を保証されない。?じぶん?が?ナニ?であるか?判らない?。だとすれば、こんどはそれ自身が自己反省的に自らを?見る?しかない。作品が自己ブンレツ的に?自分自身を見る?とゆープロセスを通してしか、?自ら?を存立させることが出来ない。?ツクル(作家)?ことと?見る(ヒヒョ
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