[125]中川達矢[2012 05/15 08:21]
戻りました。

朗読については、蛙さんのおっしゃる通り、テクニックが存在してしまいます。
そうすると、一つの不安としては、朗読によってむしろ解釈が狭くなる恐れがあるということ。
ただ、それはあくまでも広義の音が目の前にあり、それを踏まえてどう解釈するか、はテクニックと別のものかもしれません。

昔の和歌・俳句は文語。
古典の授業でもそうですが、古語の理解でよくなされるのが、現代語訳、そして、なんといっても助詞の役割。
ここで疑問が生じるのは、果たして日常会話において、助詞の正当性をどれだけ疑っているのか。
仮に、習慣的な違和感と名付けますが、「〜は〜した」「〜を〜した」では動作の
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